部屋とゴスペルと私2
まずは簡単に前回をおさらいしておきましょう。
ゴスペルミュージックのルーツであるスピリチュアル(黒人霊歌)は、
奴隷貿易の最盛期である17世紀~18世紀にかけて、黒人奴隷の間で広がっていきました。
1860年頃 アメリカ合衆国総人口の約14%を黒人が占めるようになりました。
そして、黒人人口では440万人のうち395万人もが奴隷だったそうです。
1863年には「奴隷解放宣言」が成立して、法律上では黒人の自由が認められるようになりました。
しかし、黒人の4人のうち3人は文字が読めない、土地を持っていない、仕事、お金もないという環境で生活を強いられ、人種差別と貧困の問題が大きくなっていきました。
そのような、過酷な日常の中でも「自由と解放を願いながら生み出した文化」がゴスペルミュージックなのです。
②自由への武器
黒人霊歌は、教会の外側では黒人達のもっとも危険な希望と欲求を表現する秘密の暗号としても機能していました。
黒人たちは、奴隷としてアメリカへ連れてこられるときに、そのほとんどがキリスト教へ改宗させられました。
しかし、表立って白人が集まる教会には入ることはできず、奴隷主達に見つからないようにhash hardorと呼ばれる見えない教会/隠れた教会を祈りの場所として用いていました。
hash hardorは、小さな小屋などで明かりが漏れないようにみんなで布をかぶって祈りを捧げたり、奴隷主達からの解放を神に助けを求め歌ったり、踊ったりして、力と希望を得た場所なのです。
彼らはお互いに何かの集まりや礼拝のタイミング、逃亡の機会などを奴隷主達にわからないように伝えるために、日々のコミュニケーションのなかでスピリチュアルを使っていたといわれます。
このような、スピリチュアルに込められたダブル・ミーニングを理解することなしには、アフリカ系アメリカ人達にとって奴隷制時代を生き抜くための方法としてスピリチュアル(黒人霊歌)がいかに重要な存在だったかを完全に把握することはできません。
暗号として使われていたスピリチュアルの代表的なものとして、”Swing Low, Sweet Chariot”や”Go Down, Moses”などが挙げられます。
例えば、”Swing Low, Sweet Chariot”では天国まで連れて行ってくれる馬車という歌詞をアフリカまで連れて行ってくれる馬車もしくはアメリカ北部州への脱出という意味も込められていたのです。
見えない教会であったhush harborは奴隷制廃止や奴隷叛乱、Underground Railroad/地下鉄道のネットワークに関するニュースなどの秘密の情報経路でもありました。
このように、黒人たちは自由への希望を決して失わず辛抱強く日々の生活を生きて、音楽の中に力の源を見出していったのです。
今日はここまで。